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2012年07月16日

文化財級の・・・。



 名下という集落にある、石垣です。明治8年に作られたものとか。
 広さは300坪近くありそうです。

 今は内側が畑になっていますが、以前はこの周辺を統括する肝いりのお屋敷があったそうです。

 この石垣がなぜできたか、それは明治8年に飢饉があり、その時に周辺住民への救済策として、五十嵐川の石1個とおにぎりを交換して集めた石でできたとのこと。

 石工は栃尾から呼んで作られており、「矢げんづくり」という製法だそうです。



 四角い石垣のかどにはとても大きな石が組まれています。とても見ごたえがあります。
重機もない当時、どうやって運んだのか、想像を絶します。

 よく見ると、石垣はとても厚く内側にも相当量の石を詰め込んでいるようです。



この赤っぽい石が五十嵐川の石の特長だそうで、火成岩(火山が噴火してできた石)の中でも、火口から噴火して、空気に触れて赤くなったできたものと思われます。きめは細かく、粘りが強そうです。

  

Posted by しただ郷 at 11:20Comments(2)伝統・歴史

2012年07月14日

晴れて良かった長野集落虫送り

江戸時代に始まった日本の伝統行事。




飾り付けた竹で稲を撫でる。

 江戸時代は分からないが、明治時代から大正の中頃までは大の男や女も加わり真剣に行われ
ていたという。行列は、古くは僧侶も加わりほら貝・太鼓・笛を鳴らし、竹に半紙で作った幟(のぼ
りを下げて季節の花ユリやアオイを飾り付けて、村上から村下へ回り、村下の川に幟を流した
(今は流さない)。
幟には「五穀成就(豊穣)・天下泰平・稲の虫送れ」等と書いた。
囃し文句も「チーチポッポ 天下泰平稲の虫送れ」ポーポガンガン 稲の虫送り」イネノムシオクロー
タイコサッサーオイサッサ」と、地域で違いがあったようだ。
この日のために、集落で違いはあるが「赤飯・笹団子」等を作り、全集落休日とした。

前にも虫送り花のことををブログで書いたが、竹に下げる季節の花飾りにアオイの花を使うので、ア
オイの花を虫送り花と呼んでいる。。
参考資料  しただの民族 堀井長栄著
        大江・大谷   新潟県教育委員会発行

  ギンナン 爺



  
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Posted by しただ郷 at 21:58Comments(6)伝統・歴史

2012年04月11日

鶴翼の陣・坂東吾妻流

   下田郷の熊狩り(有害鳥獣駆除)は 4月14日から始まる。
熊狩りの歴史は定かで無いが 江戸時代(約260年ほど前)から笠堀集落では村松藩主から熊捕り鑑札が下げ渡され熊猟が行われていた。その年の熊狩りで最初に捕れた熊は 御用熊と呼ばれ藩公に献上されたと聞いておる。狩りの際の独自の山言葉・風習・唱え言葉などは笠堀集落に伝わって来た。マタギ集落笠堀 熊狩りのル-ツは笠堀からか。






写真 上泊り山朝6時ごろ 下小屋の中

五十嵐川上流は県内でも有数の熊の生息地で 昔から熊狩りが行われて来た。守門颪によると 下田郷は江戸時代・村松藩領 その村松藩で剣豪として知られた藩士 野口源右ェ門正国(1681~1747.年)が笠堀に蟄居した時期に熊捕りの法 孫子の兵法鶴翼の陣を応用自ら采配をとったと 之を 「坂東吾妻流」として笠堀に伝授したとある。江戸時代 マタギ集落に伝えられたこの「坂東吾妻流」は ほとんど形を変えることなく 現在に受け継がれている。近い山での熊狩りは日帰りだったが 山が遠くなると一泊~三泊くらいする。だんだんと狩猟者も減ってきて 最近は日帰りだ。




昭和53年4月 御所(烏帽子山)で 夕日のせいかチョット赤色に写ている

ツキノワク゛マは本来全身まっ黒だが ごく稀に白い熊(白熊)もいる。江戸時代後期天保八年(1837年)に出版された 鈴木牧之著「北越雪譜」にも白熊のことが書かれている。下田では昔から白熊を見たとの話は言い伝えられていたが 昭和43年4月笠堀で捕獲されたのが最初であった。以後粟ケ岳で二頭・御所で一頭捕獲された。何かの変化で近親交配が進みその結果(アルビノ)ではないかとのこと。 

参考資料 守門颪

  ギンナン 爺







  

Posted by しただ郷 at 15:37Comments(2)伝統・歴史

2012年02月25日

冬だからこその見学ツアー


 寒い寒い冬の中だからこそ、行う伝統技術があります。

江戸時代は年貢として上納していたほどの良質の和紙を作っていた大谷地地区の伝統技術、「大谷地和紙」。

今年はいい湯らていさんから見学ツアーが行われています。

29日までの限定実施です。

詳しくはこちら⇒いい湯らてい


ひーちゃん  
タグ :大谷地和紙


Posted by しただ郷 at 09:33Comments(0)伝統・歴史

2011年12月18日

山の隠れ家



薪ストーブが似合う季節になりました。
今日はとあるお知り合いのご紹介でかんじきづくり名人の別宅にお邪魔しています。
昔は営林署で山仕事をしていらっしゃったこの方、隠れ家のようなこの別宅で過ごされているそうです。



まずは「かんじきづくり」です。根曲がり竹を使い、あらかじめワッカを用意してくださっていました。あとは紐掛けをするだけなのですが、これが難しいのです。結び方を何度も教わり自分なりに解かりやすいように覚えていきます。



その他にも興味深かったのはこの別宅の品々、ミニかんじきをはじめいろんなものが並んでいます。右にぶら下がっているのは鉈柄(なたづか)の枝でした。



これは江戸時代の越後国の地図、しただの各集落名がのっています。五百川はなぜか「芋川」になっています。八十里ももちろん載っていて、街道があったことが分かります。



山で仕事をする人は大抵「猟」をされます。上の写真は左からテン、タヌキ、キツネです。足がついていて、襟巻になっています。とても柔らかく、ふわふわです。



天井には提灯がずらっと…。



昔の農具や蓑、臼など お宝満載です。

しただならではの暮らしをしてこられたお年寄りの知恵と技、現代にも受け継いでいきたい匠の技との出会いでした。


ひーちゃん  
タグ :かんじき


Posted by しただ郷 at 23:33Comments(4)伝統・歴史

2011年09月29日

越後長野温泉嵐渓荘古き写真

   昭和初め妙の鉱泉






   流失した吊り橋




 日本秘湯を守る会の一軒宿として名が通った越後長野温泉嵐渓荘。創業から今の社長で4代目 もうすぐ100年になる老舗旅館である。その嵐渓荘歴史の一部と写真を紹介。
  

 本鉱泉は長野地内机山の山麓におり。此處、古くより湯気立登りて厳冬の候と雖も、雪の積らざる處有りと云ひ伝へしも誰とて開鑿を試むる者なかりしが、大正末期より同村大竹氏之が掘鑿に着手し、昭和2年湧線したと、昭和5年発行の本にある。掘る工法は、櫓を建て上総(かずさ)掘りにての掘削であった。
当初、妙の鉱泉と呼ばれ、我が子供の頃は真木の湯とも呼ばれた。写真は昭和初め建物右上に、上総掘りの櫓が写ている。創業からの吊り橋は、7・29豪雨で流失した。貴重な歴史を語る橋であったが残念。
 いい宿・いい湯ですので お泊りへ。

  嵐渓荘の湯 朝日新聞 2008年8月28日
地下から出る湯は口に含むと塩辛く、湯1キログラムに溶け込んでいる食塩は10~13グラムとのこと。ここはかって海岸線だったようで湯が塩辛いのは、海水が地下に閉じ込められたのか海藻類の化石等を地下水が溶かしているらしいと、嵐渓
荘社長。

 「真木とは」 簡単に説明すると その土地の一番上(かみ)とか 上流を真木と呼ぶそうです。


   ギンナン 爺



  

Posted by しただ郷 at 07:26Comments(2)伝統・歴史

2011年06月26日

しただ鉈Ⅵ 「あした鍛冶」

 またまた真っ赤に錆びた鉈が2丁持ち込まれました。

 典型的なしただ鉈で、ナタヅカの柄と杉製の鞘のご注文を頂きました。
 本日ようやく完成。残念ながら桂は無く新品で、キラキラしておりますがご容赦ください。

 柄を仕込んでいる最中に親爺から聞いた話と、持ち込まれた方の話を照らし合わせますと、ほぼ間違いなく伝説の「あした鍛冶」。

 たいそう腕が良く、特に焼入れの上手さは村内ではピカイチだったとの事。
 ただし、注文してからしばらくして出来たかどうか尋ねると「あした、あした!」との返事。
 翌日行っても、その翌日行っても「あした、あした!!」と言われてしまう。
 腕が良く注文殺到で、なかなか直ぐにはやってもらえない鍛冶屋で、付いたあだ名が「あした鍛冶」。


 持ち込まれたのは、このブログでもおなじみのおおたけさん。
 もしかしてお爺ちゃんの事??

 いやいや~急に緊張してしまいましたが、もしかしてそんなに有名な鉈を蘇らせる事が出来たのかもしれないかと思うと、俄然やりがいが湧いてきました。

 果たして気に入っていただけますでしょうか??

 

 鞘もできました。
 藤兵衛オリジナルのデザインです。
 上部のつばが特徴なんですが、使ってみると使いやすさがお判りいただけると思います。

 

 藤兵衛工房
  

Posted by しただ郷 at 15:09Comments(2)伝統・歴史

2011年05月11日

石が語る歴史の道

昔を 伝える道標  


 両脇に 刻まれた文字は
右脇 左 大江丸倉みち 右 会津八十里道。
左脇 覚寛政十奉戌午十月如意日 とある。

庚申塔は 村の辻に置かれムラの守り神と併せて道標の役割もあった様である。

八十里越は 越後と会津を結ぶ大事な街道 又塩の道でもあった。
飢饉の際は 救援米を輸送し奥会津の農民を救った事で 八十里越が見直され 存在価値を高めた
と 八十里越(国道289号)記録か゜語る歴史の道にある。 (北陸弘済会発行)
峠(司馬遼太郎著)には 継之助の担架は八十里越を越えてゆく。
左脚はすでに腐敗し 臭気を放った。 それにしてもこの峠の長さはどうであろう。
樹海眼下にあり 道は天空に連なってゆく。 八十里こしぬけ武士の越す峠と 悲しい道でもあった。
所在地旧下田村長野。

追分の 道標


表面 左やまみち 右かさ不里
裏面 嘉永巳酉年四月造立之 
金子豊蔵 重吉 と彫られている。

両道とも 良い道で通行する人々が 追分で間違わない様に置いたのか。

東渓開道碑

大正年間道路改良し 郡道後に県道になった時の記念碑である。
大正八年五月起工 同十一年九月竣工 延長二里二十四町五十五間
沿道住民の 昔からの願いがかなったのであった。
刻まれた字は 長年風雨にさらされ 多数判読不能になっているが 後世に
大事に 伝いたいですね。
碑文は 金子久俊様より。

追分の道標 東渓開道碑とも 所在地旧下田村大谷地。

     ギンナン 爺

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Posted by しただ郷 at 21:31Comments(4)伝統・歴史

2011年05月09日

しただ鉈Ⅴ

 久々の鉈のお話です。

 このお休み前に、柄が痛んで使い物にならない鉈を持ち込まれるお客様がお二人いらっしゃいました。
 右側は、典型的な「しただ鉈」カツラの二本使いが手間を掛けました。
 真ん中は、とんがった嘴の「嘴鉈」作業性は良さそうです。
 左は、長い「山刀」風の鉈、この辺では見かけませんが、ショートレンジが使い易そうです。

 右と左の鉈はかなり古い物。
 作り手のこだわりはしっかり感じる3本です。
 おそらく作者は鬼籍に入られていると思いますが、柄さえ付け替えれば機能は新品同様。

 3本とも「ナタヅカ」の木肌と表皮がしっくり似合う仕上がりになりました。

 「ものづくり」の端くれとして、ちょっと気合が入った仕事でした。

 

 藤兵衛工房
  

Posted by しただ郷 at 18:07Comments(0)伝統・歴史

2011年03月06日

謎の人物!?



かんじきツアーのあと、こくわ屋さんでお茶をしていると、そこに現れた謎の人物…。手に持っていたのはなんと“テン”でした。しただではテンは農作物を荒らす生き物なので、その対策で罠が仕掛けられると聞いたことはありましたが、初めて見た生のテン。



手前は2年前に捕まえたもので作ったマフラーだとか。毛並みもよく、ふわふわの手触りです。
奥が今回捕まえられたテンですが、「これは前のものよりきれいなマフラーになる」とのこと。皮をはいで、頭蓋骨や骨を外してなめすところまでご自分でするのだとか。

「謎の人物」は地元笹岡中組の長谷川さんという方。長谷川さんは笠掘の奥にいわなを放流して自分だけの釣り場を持っているとか…。なんだか秘密がいっぱいありそうな方です。



そしてマフラーのモデルは山田さんのお嬢さん、こくわ屋さんの店長さんでもあります。とってもお似合いですね。face02

しただにはまだまだ知られていない技=技術を持った「匠」が多勢いらっしゃるように思えてなりません。これからも素敵な技を持った方をどんどん紹介していきま~す!


ひーちゃん


  
タグ :テン


Posted by しただ郷 at 22:52Comments(3)伝統・歴史

2011年02月13日

高級カンジキ!

アブラチャン





「アフラチャーン!」と太目の貴方を呼んでいるわけではありません。アブラチャン(油瀝青)はクスノキ科クロモジ属の落葉低木で、木全体に油が多くてこの名がついたのだそうです。
カンジキはタケ、マンサク,マユミ、グミ、クロモジ、オオバクロモジ、リョウブ,ヤマボウシ、クマヤナギ、オオカメノキ・・・と様々な材料が各地で使われています。なかでもしただではアブラチャンが粘り強く良いとされて使われています。
新屋のカンジキつくりの達人について、山からとってきて、乾かし、水で煮て、丸い型にはめて1年です。今日は針金で固定して、紐をかけて完成させました。紐のかけ方は見た目以上に複雑でとても新人がチョットまねできる技ではありませんでした。
ちょいとホームセンターで1,000円切る値段のものとは出来が違います。
数は少ないですが、3月6日カンジキ・ツアーに私の最高級カンジキもお貸ししますよ!



モリガメ

  


Posted by しただ郷 at 17:45Comments(0)伝統・歴史

2011年02月11日

しただの賽の神~葎谷(もぐらだに)編~



2月11日、今日は葎谷集落で賽の神(さいのかみ)が行われました。この集落は毎年旧暦の小正月頃に行います。
しただの賽の神には悲しい逸話があります。
むか~し、めくらのお母さんがいてこどもが3人おったと。そのこども達もめくらだった。
そのお母さんは3人の子供を育てていたが、自分もおばあさんになって、3人の子供たちの行く末をはかなみ災難を案じて、子供たちと共に家に火をつけてしもうた・・・。(語り部 小林脩作さん)
それ以来、しただではあちこちで賽の神を行うようになり、おばあさんと子供たちの人形を中に祀り、賽の神を行うようになったということです。

昔は子供たちが”賽の神のばさが家に火をつけたぞ"とふれまわっていたそうです。
火をつける前に中に入り、神様にお参りをします。



葎谷の賽の神は午前中に地域の方たちが作り、午後3時から点火です。その前に甘酒や豚汁が振舞われます。
自治会長さんや地元のリーダーの方が点火を行います。



わらでできたほこらの中に火をつけるとモクモクと煙が上がり、上から炎が見えてきます。中には爆竹が入っており、バンバン、バチバチと音を立てます。



燃え上がるようすを集落の人たちがみんなで見守ります。今年1年無事でありますように・・・。



火が落ち着いた頃、するめを焼きます。皆で分けて食べるするめは格別です。face02


ひーちゃん
  


Posted by しただ郷 at 17:15Comments(0)伝統・歴史

2010年11月15日

ひこざぇんまつり

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しただの紅葉真っ盛りの今日は漢詩大会や直売所の里いも祭りなど様々な催しが開かれています。
その中でも今日は牛野尾谷五ヶ会の住民の皆さんの行事「ひこざぇんまつり」をご紹介します。

毎年この頃に行われるこのイベント、守門川流域の5つの集落が集まり、イベント実行委員会が結成されて集落をあげた行事になっています。今年とれた新米を使ってしただ名物の「ひこざぇん」をみんなで作り、収穫の喜びを分かち合おうというこの地区ならではの行事です。



毎年大勢の方々が「よってげ邸」に集まります。ここは旧早水小学校の建物を利用した集落の施設、一般人の宿泊も可能です。今年もたくさんの方々が集まってこられました。



体育館の中では突いたご飯を丸め、ひこざぇんの形をつくって丸めています。ここはおばちゃんたちの仕事。この前段階では若い主婦たちがご飯を炊き、若者たちがご飯を突きます。



形つくられたひこざぇんは外にいるお父さんたちによって焼かれます。素焼きをした後に女性陣がえごまみそを塗りさらに炭火で焼き上げます。
建物の中も外も「ひこざぇん」のえごまの香りでいっぱいです。



販売ブースの皆さんです。若者中心です。



年配の女性中心のこのブースはこんにゃくを1本100円で販売。しただに来てからたびたび登場するこんにゃくにですが、なぜかしただ地区のこんにゃくは細長く1本の短冊形が主流です。とても食べ応えのあるこんにゃくです。他には無料のお汁、有料ですが、炭火焼の焼き鳥などもあります。

しただらしい、秋を満喫できるイベントでした。


ひーちゃん






  

Posted by しただ郷 at 00:10Comments(0)伝統・歴史

2010年09月24日

八十里越え講演会



11月3日(水・祝)文化の日、諸橋轍次記念館において金森敦子氏講演会「越後の女たち~八十里越えのかなたへ~」が行われます。

八十里越えはかつては会津地方と越後を結ぶ重要な交通ルートでした。物資が運ばれ、戊辰戦争では河井継之助が越え、小林ハルさんも越えていきました。
新潟市在住の金森敦子氏は江戸時代の旅をテーマにした著書を多数出されている作家です。八十里越えの歴史をひも解いてお話いただきます。

入場料は無料、申込み先 (財)燕三条地場産業振興センター 燕三条ブランド推進室
電話 0256-36-4123へ

パンフレットは下田公民館、横田精肉店さん、いい湯らていさん、嵐渓荘さん 等においてあります。  

Posted by しただ郷 at 16:39Comments(0)伝統・歴史

2010年09月13日

白山神社秋季大祭神楽奉納

9月11日(土)白山神社秋季大祭(長沢)が行なわれました。


午後2時30分から神事が行なわれ、その後神楽が奉納されました。



稚児による「榊(さかき)」


「花献(かけん)」


「福神舞(恵比寿大黒)」 恵比寿様が大きな鯛を釣り上げました。



最後は大黒様がお菓子を撒きます。

 神楽は全部で6つ奉納されました。稚児舞は春季大祭のときは「榊」だけでしたが、今回はもうひとつ増やそうと「花献」を練習し、無事奉納しました。







 kazu55

  


Posted by しただ郷 at 23:06Comments(2)伝統・歴史

2010年09月10日

鮎の友釣り



晴れ間の続いた日、駒出川沿いを車で走っていると、川に入っているお父さんたちが4・5人、何をしているのか声をかけてみると・・・友釣り用のおとりあゆを捕っているとのこと。見学させていただきました。



川の中に4人、川沿いの道に1人ついています。どうやら上から見ているおじさんがキーマンのようで、鮎がどこにいるかを川の中の人に教えています。川の中には投網の人が1人、大きな手網を持っている人が1人、他に鮎を追い立てる役の人が2人います。
最初はなかなか網に入らないのですが、手網と投網で追い込む作戦となりました。



上から見ているおじさんが「ほら、そこにいっぺこと鮎がいるぞ~~」と声をかけます。
そして下流から手網のおじさんが鮎をゆっくりと追い込みます。
そして、、、



上流にいた若い人が投網をかけます。



見事!3匹をゲットしました。
「これで1人2匹づつわけられるぞ~!!」とおじさんたちは嬉しそうです。最高齢は80歳の方から40代?ぐらいの若手までみんな大喜びです。しただの人たちはこうやって自然と共に暮らしてきたんだなあと感じられるひと時でした。
しかし、本当に素晴らしいチームワークでした。icon01
アユ釣りは今月いっぱい楽しめるそうです。


ひーちゃん

  


Posted by しただ郷 at 18:01Comments(0)伝統・歴史

2010年08月16日

しただのお盆



お盆に入り、しただの人口もにわかに増えた様子。忙しさもピークを過ぎ、ふと気がつくといつも通る道端のお地蔵さんが衣替えしていました。
近所のお年寄りがが着せてくれたのでしょうか。子供用の「ちゃんちゃんこ」と帽子をかぶっていました。今年の夏はお地蔵さんも暑かろうとかぶせてくれたんでしょうか。

そんな写真を撮っていたとき、通りがかりの知り合いのおばあちゃんが大きなスイカをくださいました!!
ご自分で育てたスイカです。家に帰って冷やして食べると、最高に甘い!!おばあちゃんが丹精込めて育てた味です。ごちそうさまでした。お年寄りの優しさをつくずく感じた1日でした。  


Posted by しただ郷 at 10:06Comments(0)伝統・歴史

2010年08月14日

しただの盆踊り

 しただでは少なくなったとは言え盆踊りがアチコチで催されます。
 今日は荒沢と森町かな?

 私の中組は明日が本番です。
 実は年に何回もやっておりまして、最初は小学校の運動会、で明日の本番、しただふるさと祭りで3回め、ラストは9月15日の頃の「十五夜踊り」と楽しみます。
 踊りがなかなか難しく、よさこいソーランや、ヒップホップなんかに押されてなかなか参加者が増えませんが、今年は18~19の若者が参加してくれています。(毎日練習中・・もうそうとううまい!)
 
 
 今日はデイサービスから頼まれまして、その若者たちとちょっと踊ってきました。
 老人介護の専門家からは「どんな薬より効き目がある。」等と言われるふるさとの盆踊り。
 いつまでも残して行きたいなー・・と思っております。

 明日は、もう食べ放題の、こんにゃくおでんやカキ氷もありますし、景品も豪華!
 是非覗いて見てください。

 藤兵衛工房  

Posted by しただ郷 at 15:27Comments(0)伝統・歴史

2010年07月20日

虫送り〔中組〕

 下田郷の各地域の虫送りが紹介されていますね。
 私の所もしっかりと受け継がれ、毎年「あれこんなに子供いたっけか?」と思うぐらい、みんな浴衣を着たりして、けっこうにぎやかです。
 本当は稲を飾り竹笹でなでながら五十嵐川まで行き、流すのですが、(今は流さず回収しています。)田んぼが道路より低くなり、浴衣に下駄履きですとあぜ道に下りる訳にも行かず、行列行進だけになってしまって居りましたが、数年前からちょっと大きめな竹笹で、代表して稲穂をなでるようになりました。

 みんなで「ぽーぽがんがん、稲虫送れー送れー」の掛け声で力持ちの薫氏が思いっきり振り回します。

 一時間の行列終了の後、みんなで花火大会、最後は慰労会です。

 
 
 

 藤兵衛工房  

Posted by しただ郷 at 17:10Comments(2)伝統・歴史

2010年07月12日

虫送り


しただではこの時期に田んぼの害虫を防ぐための伝統行事である「虫送り」を行います。
梅雨時に発生する「うんか」の害を防ぐために、子供たちが笹を持ち、酒をまいた笹で田をなでることで病害虫を防ぐというもの。太鼓とホラ貝とともに練り歩きます。

森町地区の自治会長さんのお話です。
この地区では精和会という青年団が主催します。
昭和の時代、途切れていた時期もあったそうですが、近年、復活されたそうです。


この地域ではトラックに太鼓を乗せて練り歩きます。


ワンパク盛りの子供たち、どんな時も遊びを見つけます。練り歩いた後は花火をもらって終了です。
笹は以前は川に流していたそうですが、今はそれもできず、花火と引き換えに回収します。


一方、庭月地区では毎年7月15日が虫送りの日だったのですが、近年は参加する家庭の都合で土曜日に行うようになったそうです。
子供の行事なのですが、庭月地区では小学生がひとりとなり、大人や老人も一緒に練り歩きます。そして今では…


ワンちゃんも一緒に練り歩きます。

虫送りはしただの各自治会で行われています。17日ごろがピークのようです。


ひーちゃん

  
タグ :虫送り


Posted by しただ郷 at 00:01Comments(1)伝統・歴史