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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2011年04月05日

里川・川上意識

 今回の震災ほど、自然の残酷さと地域社会の意義を感じた事はありません。

 あらためて被災者の皆様にお見舞いを申し上げます。


 先日「しただ郷道の駅フォーラム」に参加させて頂きまして、「株式会社四万十ドラマ」の畦地履正氏の「地域の宝を活かす道の駅とは~四万十ドラマの挑戦~」と題した話を聞く事ができました。
  
 こだわりと示唆に満ちた、大変有意義な講演でした。


 その後の分科会での私が参加させていただいた班での内容が又素晴らしく、紹介させていただきます。


 畦地さんの地域と私共の地域、大きな共通点が「川」です。
 しかし、方や、「日本最後の清流」と呼ばれる四万十川に対し、今や「死んだ川」と呼ばれる五十嵐川。

 私もかつて「雨生の大蛇祭」の創生時、「五十嵐川は育ての親」と表現した事がありますが、あれから14年、年を追うごとに「川が死んで行く」と耳にする事が増えて来た様に感じられます。

 生活雑排水は下水が進んでおります。
 農薬も減農薬で、ブヨが出るなど副作用もある始末。
 公共工事も当然少なくなってきているはず。

 ではなぜ川が死ぬのか?


 川に親しむ方のほとんどが「ダム・堰堤」のせいだと言います。
 活きた川とは、当然水が綺麗で、生物の多様性が認められる事だと思いますが、その生物が住む川底が、一変しているのです。
 鮎やカジカは泥川には住みません。
 ダムや堰堤で流量が調整され、川底は石が常にどろが付いた状態になってしまいました。

 その「死んでしまった川」を蘇らそう・・というのが班のテーマになりました。
 こういう話になったのも詳しい方々がいられたお陰です。
 「人・物・施設」だけでは人様は訪れてはくれません。

 厳しくもありがたい自然。
 なくてはならない私等の「五十嵐川」。
 百姓は用水路には決して小便をしません。川上教育が身に付いています。
 そんな下田郷の住民としても「死んだ川」なんて言われない様にして行く活動は、「下田郷自然くらぶ」等の発足などと絡み、今後不可欠な物になって行くと思いたいです。

 


 藤兵衛工房

  

Posted by しただ郷 at 12:31Comments(5)自然