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2011年05月11日

石が語る歴史の道

昔を 伝える道標  


 両脇に 刻まれた文字は
右脇 左 大江丸倉みち 右 会津八十里道。
左脇 覚寛政十奉戌午十月如意日 とある。

庚申塔は 村の辻に置かれムラの守り神と併せて道標の役割もあった様である。

八十里越は 越後と会津を結ぶ大事な街道 又塩の道でもあった。
飢饉の際は 救援米を輸送し奥会津の農民を救った事で 八十里越が見直され 存在価値を高めた
と 八十里越(国道289号)記録か゜語る歴史の道にある。 (北陸弘済会発行)
峠(司馬遼太郎著)には 継之助の担架は八十里越を越えてゆく。
左脚はすでに腐敗し 臭気を放った。 それにしてもこの峠の長さはどうであろう。
樹海眼下にあり 道は天空に連なってゆく。 八十里こしぬけ武士の越す峠と 悲しい道でもあった。
所在地旧下田村長野。

追分の 道標


表面 左やまみち 右かさ不里
裏面 嘉永巳酉年四月造立之 
金子豊蔵 重吉 と彫られている。

両道とも 良い道で通行する人々が 追分で間違わない様に置いたのか。

東渓開道碑

大正年間道路改良し 郡道後に県道になった時の記念碑である。
大正八年五月起工 同十一年九月竣工 延長二里二十四町五十五間
沿道住民の 昔からの願いがかなったのであった。
刻まれた字は 長年風雨にさらされ 多数判読不能になっているが 後世に
大事に 伝いたいですね。
碑文は 金子久俊様より。

追分の道標 東渓開道碑とも 所在地旧下田村大谷地。

     ギンナン 爺

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Posted by しただ郷 at 21:31Comments(4)伝統・歴史