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2011年08月03日

暴れる五十嵐川

往古よりの五十嵐川大洪水の記録 大正十五年迄
明暦 二年八月
延寶 元年九月     粟ヶ岳系 五百川大水なりと云ふ
文禄 十二年七月
元文 元年
天明 七年六月     守門系  牛野谷最も大水
天明 八年九月     粟ヶ岳系 五百川親沢川最も大水
寛政 元年七月     守門系  五十嵐川開闢以来の大水
                      白髯水と云ふ
明治 十四年九月    矢筈系・粟ヶ岳系 笠堀川大水
大正 十五年七月    守門系 守門川最も大水 大谷川之に次ぐ

開闢以来の大水と称せられしが、明治十四年の大水は白髯水時より水嵩五尺
多しといへり。
白髯水と云ひ伝ふるは、当時の大洪水に長き白髯の一老翁、大なる流木に乗り
て流下せるを一人ならず二人ならず川筋各所に於いて見受けたる者多数有り。此の老翁は雨生池の大蛇即ち竜神ならんとて、後にて誰云ふとなく白髯水と称せるに至れるものなりといふ。
明治十四年・大正十五年大洪水、凄絶・筆舌の及ぶ所にあらず、田畑・宅地・家・道路・橋等流失、いたる所で道路交通止・土砂災害・田畑は泥水土砂堆積其の跡は多く石原と化した。又 大正十五年は大字田屋道路兼堤防百間破壊。今回に勝るとも劣らない被害だったようである。
八十翁 金子愛山著(大谷地)・森町村沿革詩・昭和五年一月発行より抜粋。

 
何かの参考までと投稿しました。 ギンナン 爺  
タグ :水害7・29


Posted by しただ郷 at 06:38Comments(1)自然