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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2011年09月14日

誰が作った城か 

崩れた石垣





三条市(旧下田村)北五百川粟ケ岳山麓蔵元に『トウナイ城』と言伝いられる山城跡がある。
存在を 知る人も数すくなくなくなり忘れ去られる日も遠くないだろう。近くに砦の越し(トッペのコシ)があり 蔵元と言う地名は 武器弾薬 食料等を 備蓄した蔵が有ったと今は 亡き古老から聞いた。70歳後半の人から聞た話ではでは 子供の頃蔵元に田んぼが有ったので 城跡の付近で素焼きの皿ツボ等拾って遊んだとの事。行って見ましたが 石垣は崩れ皿等は落ち葉が堆積し残念見つかりませんでした。では誰の城か 新田義貞3男義宗が 越後で挙兵し北朝方と戦ったと伝えられている。岳山城(加茂市)は その時籠もって戦った城と言われ 蔵元とは近く山で繋がっている。その事に関係が有るのか今となっては分からず。

八木神社には 南北朝時代の雄新田義貞・義顕・義興・義宗 父子四将を合祀し 新田の紋・丸に一引両・が神紋となっている。

  ギンナン 爺  

Posted by しただ郷 at 06:12Comments(1);歴史