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2011年12月03日

ネズミの恩がえし

しただ郷ブログに スキルアップで鼠薬師を歩いたと モリガメさんの記事があった。その 鼠薬師は昔信仰の山でもあり 大変賑わったみたいです。登山道は 庭月部落から登るのが昔からの道で 山頂~八木前間は 近年拓かれ整備された道だ。
鼠薬師如来堂
伝説曰く此の薬師如来は元荒沢にありしを庭月薬師山に移したるものなり その年月不詳なり。(森町沿革誌)



鼠薬師信仰の起源は明らかではないが、その先達をつとめたのは名下の大聖院という修験(山伏)であった(現在の岩本家)。同家に残っている「越后国庭月村鼠ヶ獄薬師如来略因起」は、木版刷りで配布した原本で、信仰の由来が記されている。この文書によると次のようになる。昔 文明年間(室町時代)明山という行者がいた。旅の途中ある山里で村人が鼠狩りを行い 大量の鼠を殺そうとしていた。行者は鼠ともいえども十二支の神霊に関わる薬師如来のことをおもい 寸志を渡し鼠を貰い受けた。疲れた身でしばらく行くと峰の上に薬師堂があったので一夜を過ごした。翌朝見たら 数匹鼠が仏前に合掌し感謝の礼を表していた。仏に感謝し 万物を損じないよう鼠に諭し 行者は去った。以後 鼠薬師の信仰は 特に 養蚕を行う家の守りとして修験行者布教だけでなく 村から里へと広まっていったものらしい。  

江戸時代の半ば過ぎ頃 北五百川に住んでいた医師金子休達の書いた「森町組往来」は 旧森町村全域に渡って名所名物を記したものであるが その中で 「庭月の鼠薬師は蚕随一の守りにて 卯月八日御開帳有りて 布引道は岐をふさぎ」と記していることからも このころすでにそうとうの賑わいであったと思われる。昭和の初め頃まで 行者がお堂に籠ったという。

庭月部落では 戦後間もないころまで毎年5月7日に 翌日御開帳のために清掃等に上っていたという。たが だんだんと参拝に来られる人々も減り 同頃お堂は解体された。御丈約一尺五寸の薬師如来は庭月神社へと。今 残ったのは御堂跡と鼠薬師と呼ばれる山となり 薬師信仰の事はやがて人々の記憶から消える事だろう。 
史料 八木神社宮司 石澤様より

ギンナン 爺

  

Posted by しただ郷 at 13:42Comments(3)