2012年03月28日
薬師様とザル作りの里
下田の名峰として知られ 信仰の山でもあった粟ケ岳(1292.7m)は 宝寛十一年(781)仙眞法師修行行脚のおり霊夢の告げにより四国阿波国五験より如来を背負い来り。当地三峰に草庵を結びて安置し 阿波の薬師と称しその山を阿波ケ嶽と称す。後に阿波を粟の字に改めたと云う。その山の麓に広がる北五百集落は 粟の薬師様・十石銀山・ザル作りなど昔からその名を知られていた。
粟ケ岳には 奥ノ院(峰の薬師堂)・浄土と称する石窟・おお堂(文字不明)などがあり 信仰厚い山だったようだ・今から200余年ほど前の作だと云う奥ノ院は 昭和8年4月火災にあい焼失 今 ここを堂平と呼んでいる。新田一族も活躍したのか 小城の跡 砦の越(トッぺノコシ)・トウナイ城・蔵元・牛小屋などと呼ぶ地名も残っており粟ケ岳は奥行きが深い。
特産のザル作りの起源は不明(江戸時代か)となっているが 昔から ザル作りは北五百川の特産として冬の大事な仕事。戦前は1000個も作った家が何戸もあったとか 大正10年産出高一万五千個なりと云う。戦後も作っていた家が有ったようだが 話に聞くと現在は無いようだ。技術継承が惜しまれる。
資料 森町沿革誌 昭和の五百川覚書
ギンナン 爺
粟ケ岳には 奥ノ院(峰の薬師堂)・浄土と称する石窟・おお堂(文字不明)などがあり 信仰厚い山だったようだ・今から200余年ほど前の作だと云う奥ノ院は 昭和8年4月火災にあい焼失 今 ここを堂平と呼んでいる。新田一族も活躍したのか 小城の跡 砦の越(トッぺノコシ)・トウナイ城・蔵元・牛小屋などと呼ぶ地名も残っており粟ケ岳は奥行きが深い。
撮影昭和40年代後半
特産のザル作りの起源は不明(江戸時代か)となっているが 昔から ザル作りは北五百川の特産として冬の大事な仕事。戦前は1000個も作った家が何戸もあったとか 大正10年産出高一万五千個なりと云う。戦後も作っていた家が有ったようだが 話に聞くと現在は無いようだ。技術継承が惜しまれる。
資料 森町沿革誌 昭和の五百川覚書
ギンナン 爺