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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2012年12月18日

笠堀マタギ



江戸時代マタギの里として村松藩から熊狩りの免許をいただき、野口源右ェ門正国直伝の「坂東吾妻流鶴翼の陣」を、今日まで伝えた笠堀集落のマタギ衆。写真は、それを伝える大正初めの写真である。上列左はしの少年Kさんは、明治37年1月生まれ。そこから推察すると大正2年前後か。手甲脚絆・ワラジばき、雨がふれば蓑笠だ。猟銃は村田銃の、24番くらいかとにかく長い銃だ。その頃の銃は不発が多く、熊狩りは大変危険だったと聞いておる。下列真ん中の人は、高倉健なみのよか男だ。



昭和40年初めまで使用する散弾は、各自て゜作っていた。鉛を溶かし形に流し込んで作り、火薬は黒色(今は無煙火薬)ケースは真鍮だった。写真は、散弾作りの道具の一部。左上は手作りの脚絆。昔は何でも手作り、猟師は楽でなかった。

 ギンナン 爺  

Posted by しただ郷 at 20:33Comments(4)