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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2013年05月14日

史蹟を訪ねてその2




目的のひとつ、地元では喜左衛門塔と呼ばれている石塔。嵐渓史には、不幸にも、喜左衛門、鉱山の飯場に宿泊中、何者かに斧で眉間を打ち割られ、悲惨な死をとげた。此の凶変が藩主の耳に達するや、深くその死を憐まれ、同人のために、山頭神なる碑を建てられし。とある。お参りに来た人がいたのか、茶碗二つ碑の前に。



整地されたと思われる所の石垣。飯場等があったのだろうか。




あった。銀山を掘り出した坑道の入り口。中は所々崩落していた。昔を今に伝える坑道跡、何とか後世に残せないか早速の保存が望まれる。
参考文献・嵐渓史


 ギンナン 爺  

Posted by しただ郷 at 22:40Comments(0)

2013年05月14日

史蹟を訪ねて




今日は、案内人ほか新潟日報社から2名、三条新聞、新潟県教育庁より各1名、下田郷郷土歴史研究会4名、三条市民部生涯学習課5名、しただ郷エコツーリズム推進協議会3名計17名の参加で、文政年間に発見され、明治3年まで存続していた拾石銀山の史蹟を訪ねて、まだ残雪が濃い粟ケ岳の山中へ。
前は手入れが行き届き歩きやすい道だったが、近年は山に入山する集落の人達も少なくなり、やぶになった道を辿り、何とか目的地に着いた。



いざ出発に当たり、皆さん気をつけてのお話等々。



足元に気をつけて、涼風吹く水清き中ノ俣沢を渡る。




落差15m近い滝。雪解けの水で水量かなり、轟々と流れ落ちるたきを見ながら、一路山中へ。




拾石沢に到着だ、まずは腹ごしらい。


 ギンナン 爺  

Posted by しただ郷 at 22:01Comments(0)