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Posted by LOGPORT運営事務局 at

2013年08月06日

川岸は復旧できても・・。

「掘っては積んで、積んでは流されの繰り返し」
賽の河原になぞらえるのはあまりにもかわいそうですが、日本はこうやって長い歴史を積み重ねて来たんですな。
(なにを年寄り臭い事をと笑わないでください)
なにも無い所に急に何百億という需要が発生し、多くの人達が携わっています。
公共事業は業者の為では無く、国土の保全の為に必要不可欠の部分も多かったと言う事が良く解ります。

一昨年、いきなり全国区になったすぐ近所の崖です。
一見しただけで10台のユンボが稼働しています。
護岸はきれいになるのでしょうが、本来の川はどうなんでしょう?
清流と呼ばれる流れは、果たして帰って来るのでしょうか?
県や三条市の首長レベルでは、もうどうしょうも無い事なんでしょうかね?
そうは思いたくない物です。

「川は育ての親だった。その川の死を看取りたくない」

藤兵衛  

Posted by しただ郷 at 16:51Comments(6)自然

2013年08月06日

懐かしき清流五十嵐川 絵葉書から







ボートが浮かび水あびも出来たこのころが懐かしい。八木神社が近くにあり、神淵(みふち)と呼ばれていた淵は、水清く水深10m以上あったと思われる深さだった。八木橋からは底の小さな石までも良く見え魚影も濃く、橋の上からバンくずなど投げると、まっ黒になって魚がよってきた。昭和44年に嵐北用水取り入れの堰ができ、この景色は消えた。

写真上水遊びする人々が右下に写ている。昭和40年ごろか
写真中ボートは八木館の私有だったと記憶している。
写真下八木橋から下流。前はこの堰(中央田屋ぜき)から用水を取り入れていた。左上の建物は、このころに営業していた嵐渓荘別館。屋根に看板があるのだが、文字の判別できない。
写真中、下とも昭和20年代後半。

今の八木ヶ鼻山頂には松が無いが、このころはまだまた松が多くあり、景観も良かった。

 ギンナン 爺  

Posted by しただ郷 at 11:04Comments(6)