2014年07月31日
お湯が塩辛いのはなぜか



2008年にはカヌー競技(国体)が行われた五十嵐川だったが、7・29の豪雨水害に痛めつけられ、復旧工事などで護岸は人工物で固められ、流れも一変した。これではただの水路と化し、魚も棲めない川になりにけり。
そんな中、守門川は一部を除いては、以前のままだ。守門川の流れに沿うように秘湯の一軒宿、「嵐渓荘」が建つ。海だった頃の名残でお湯は塩辛と、記事にある。
ギンナン 爺
2014年07月26日
監査廊は12℃

大谷ダム工事中昭和61年8月25日撮影。航空写真パネルより


今年一番の暑い日となった26日、大谷ダム見学会に参加した。参加者は、親子連れも含め40名近い。ダム管理職員の歓待を受け、受付へ。そこで記念品と、資料を頂く。ダムの概要説明の後ダム管理室へ。管理室はモニター、パソコン等他にもいろいろありだが、隣の笠堀ダムで管理しているとか。
最後は関係者でないと入れない、堰堤の底にある監査廊へ移動。堰堤直下75mの監査廊は温度は12℃と、寒い。職員の説明によれば監査廊には3か所に地震計、他に水圧計等の計器類で、ダムの状態を監視しているとの事。
このダムで使う電気も又、底で発電している。大谷ダムはエコダムだな。
管理室、堰堤の中にはこんな機会でないと入れないので、良い勉強になりました。
職員の皆様ありがとう御座いました。
ギンナン 爺
2014年07月23日
夏本番前の爽やか吉ヶ平
7月21日


青空となった21日、何年かぶりに吉ヶ平へと車を走らせた。訪れた吉ヶ平は雨上りのせいか山々は深くて濃い緑色、オニヤンマも何匹かが、青空の下悠々と。なかなか良き眺めだ。
見上げれば煙が天へ上がっている。階段状になっている坂を上って行ったら、そこは炭焼き竈。その脇では一服小屋の骨組み中、お盆までに完成とか。敷板は特注の厚さ一寸、豪雪に耐えるよう三角だ。想い出つくりに記念の写真を、一枚。


煙、窯の中はいい色になってきた。ただ今窯の中は温度約千℃。窯出しはまもなく始まる。
もうすぐご婦人たちが来て、出したての炭で「ピザ」を焼くという。それまで待って「ピザ」を食って行けや、と、声を掛けられたが、ありがとう御座います、食べたいが、用が有るので又の機会にと、車へ。
ギンナン 爺


青空となった21日、何年かぶりに吉ヶ平へと車を走らせた。訪れた吉ヶ平は雨上りのせいか山々は深くて濃い緑色、オニヤンマも何匹かが、青空の下悠々と。なかなか良き眺めだ。
見上げれば煙が天へ上がっている。階段状になっている坂を上って行ったら、そこは炭焼き竈。その脇では一服小屋の骨組み中、お盆までに完成とか。敷板は特注の厚さ一寸、豪雪に耐えるよう三角だ。想い出つくりに記念の写真を、一枚。


煙、窯の中はいい色になってきた。ただ今窯の中は温度約千℃。窯出しはまもなく始まる。
もうすぐご婦人たちが来て、出したての炭で「ピザ」を焼くという。それまで待って「ピザ」を食って行けや、と、声を掛けられたが、ありがとう御座います、食べたいが、用が有るので又の機会にと、車へ。
ギンナン 爺
2014年07月22日
八十里越体感バス Ⅴ
Hatijuurigoe Bus Tour
7月22日
難工事

工事用道路(八十里越体感バスの通る道)の崩れた法面の修復工事です。やっと雨が上がったので大がかりな修復工事が始まりました。崖沿いを通る工事用道路は大水などの被害を受けやすく、修復しながらの通行になります。特に新潟県側の地形は厳しいため工事全体の進捗も遅れ気味です。
ありがとうございました。
八十里越体感バスツアーには三条市側のガイドと通行安全管理と工事説明で国交省側のガイドがつきます。7月は日曜日、火曜日の運行で8月からは日曜日のみの運行になります。火曜日を担当されていた国交省長岡国道事務所のNさんが今日で最後となります。昨年のバス運行からずっと爽やかで明快な説明をしていただき、我々(私だけじゃないはず。)三条側ガイドの憧れでした。といったわけで、この9号トンネル只見側での彼女の説明が聞き納めになりました。

ゲート出口でお見送りいただきました。「ご苦労様。ありがとうございました!」ウルルン・・・。
それでもバスは走り続けます。

7月22日
難工事
工事用道路(八十里越体感バスの通る道)の崩れた法面の修復工事です。やっと雨が上がったので大がかりな修復工事が始まりました。崖沿いを通る工事用道路は大水などの被害を受けやすく、修復しながらの通行になります。特に新潟県側の地形は厳しいため工事全体の進捗も遅れ気味です。
ありがとうございました。
八十里越体感バスツアーには三条市側のガイドと通行安全管理と工事説明で国交省側のガイドがつきます。7月は日曜日、火曜日の運行で8月からは日曜日のみの運行になります。火曜日を担当されていた国交省長岡国道事務所のNさんが今日で最後となります。昨年のバス運行からずっと爽やかで明快な説明をしていただき、我々(私だけじゃないはず。)三条側ガイドの憧れでした。といったわけで、この9号トンネル只見側での彼女の説明が聞き納めになりました。
ゲート出口でお見送りいただきました。「ご苦労様。ありがとうございました!」ウルルン・・・。
それでもバスは走り続けます。

モリガメ
2014年07月22日
主虹と副虹
primary and secondary rainbow
7月20日

夕方、三条市内に向かいます。途中できれいな虹が出ていました。
丸々全体が出ていますが、大きすぎて全体が1画面に入りません。
副虹も見えます。主虹と副虹は色の配列が逆です。

7月20日

夕方、三条市内に向かいます。途中できれいな虹が出ていました。
丸々全体が出ていますが、大きすぎて全体が1画面に入りません。
副虹も見えます。主虹と副虹は色の配列が逆です。

モリガメ
2014年07月22日
2014年07月22日
八十里越体感バス Ⅳ
Hatijuurigoe Bus Tour
7月20日

今日は午前、午後の2便にガイドとして乗車です。
午前便は写真の通り雨です。5号橋梁建設予定現場(上と左下のカット)と8号トンネル前(右下)といった具合です。バス4台づつの運行ですからなかなかの大人数です。
午後便は雨は大丈夫でした。
雨だろうが、なかろうがお客さんは熱心に聞いて下さるのでうれしいです。みなさん関心が高いんですね。

7月20日

今日は午前、午後の2便にガイドとして乗車です。
午前便は写真の通り雨です。5号橋梁建設予定現場(上と左下のカット)と8号トンネル前(右下)といった具合です。バス4台づつの運行ですからなかなかの大人数です。
午後便は雨は大丈夫でした。
雨だろうが、なかろうがお客さんは熱心に聞いて下さるのでうれしいです。みなさん関心が高いんですね。

モリガメ
2014年07月19日
八木ヶ鼻で見た!
discoveries at Yagi-hana
7月19日
7時8分目が覚めました。寝坊です。
”吉ヶ平の語り部”・Oチャンが7時に迎えにくるというのに寝過ごしてしまいました。10分ほど戸を叩いたそうです。すみません。疲れてるんだな!
7月26日の八木ヶ鼻探検イベントのロケハンです。(私東京で結婚式があるんで出れませんが。私の結婚式じゃないですよ!)

八木ヶ鼻駐車場に着きます。左側から五十嵐川、上から守門川が合流しているのが見下ろせます。かつて縄文人もこの景色を見ていたのでしょうか。五十嵐川は濁り、守門川は澄んでいます。下のカットはその約1時間後です。濁り方が逆になり、守門川の水量も増えています。守門川上流側でだいぶ雨が降ったみたいです。

雨の中、ハイキングコースを外れて八木ヶ鼻岸壁直下へ向かいます。かつて道があってOチャンは子供の頃何度か遊びに行ったそうですが、今は跡形も在りません。それらしい踏み跡をたどり何とか直下に出ます。崖の上から雨水がギアナ高地のエンジェル・フォールみたいに霧になって降り注いでいます。

崖下を右にトラバースして八木ヶ鼻中央部あたりにまわりこみます。大きな岩の窪みに出ました。八木鼻岩陰遺跡第1号です。小さな石仏があり、岩塩と思われる白いバンドの層が見れます。
「縄文時代草創期~弥生時代、古代、中世の遺跡。
第1号は絶壁正面、第2号は東側にある。先史時代は主に住居として、その後は狩猟などのキャンプサイトとして使用された。古代以降は八木ヶ鼻を神霊とする信仰の場となり現在に至る。
山間部の露頭では珍しい岩塩が発見されている。塩は、人や動物が生きるためには不可欠なものであったので、八木ヶ鼻の威容と合わせてこの地がランドマークとなったとも考えられる。」(しただ郷エコツーリズム推進協議会による説明。)
第2号遺跡の方には道が悪く行けませんでした。
帰りは適当に下に下って行くとそれらしい道跡らしきものに行きあたりました。
何とか駐車場に戻りましたが、26日の小さな子供たちを連れての探検は無理のようです。

駐車場で八木ヶ鼻の岸壁を見上げていると雷鳴轟く空中からけたたましい鳴き声がします。ハヤブサです。3羽います。下のカットでは2羽が、点のように写っています。一瞬ですが八木ヶ鼻の命の営みを垣間見ることが出来ました。
6~700万年前の海底火山の溶岩ドームの中心だった八木ヶ鼻は、しただ郷のランドマークです。この大きな岩山は、何か人々の心を惹くパワーがありますね。
雨がまた激しく降ってきました。

7月19日
7時8分目が覚めました。寝坊です。
”吉ヶ平の語り部”・Oチャンが7時に迎えにくるというのに寝過ごしてしまいました。10分ほど戸を叩いたそうです。すみません。疲れてるんだな!
7月26日の八木ヶ鼻探検イベントのロケハンです。(私東京で結婚式があるんで出れませんが。私の結婚式じゃないですよ!)

八木ヶ鼻駐車場に着きます。左側から五十嵐川、上から守門川が合流しているのが見下ろせます。かつて縄文人もこの景色を見ていたのでしょうか。五十嵐川は濁り、守門川は澄んでいます。下のカットはその約1時間後です。濁り方が逆になり、守門川の水量も増えています。守門川上流側でだいぶ雨が降ったみたいです。

雨の中、ハイキングコースを外れて八木ヶ鼻岸壁直下へ向かいます。かつて道があってOチャンは子供の頃何度か遊びに行ったそうですが、今は跡形も在りません。それらしい踏み跡をたどり何とか直下に出ます。崖の上から雨水がギアナ高地のエンジェル・フォールみたいに霧になって降り注いでいます。

崖下を右にトラバースして八木ヶ鼻中央部あたりにまわりこみます。大きな岩の窪みに出ました。八木鼻岩陰遺跡第1号です。小さな石仏があり、岩塩と思われる白いバンドの層が見れます。
「縄文時代草創期~弥生時代、古代、中世の遺跡。
第1号は絶壁正面、第2号は東側にある。先史時代は主に住居として、その後は狩猟などのキャンプサイトとして使用された。古代以降は八木ヶ鼻を神霊とする信仰の場となり現在に至る。
山間部の露頭では珍しい岩塩が発見されている。塩は、人や動物が生きるためには不可欠なものであったので、八木ヶ鼻の威容と合わせてこの地がランドマークとなったとも考えられる。」(しただ郷エコツーリズム推進協議会による説明。)
第2号遺跡の方には道が悪く行けませんでした。
帰りは適当に下に下って行くとそれらしい道跡らしきものに行きあたりました。
何とか駐車場に戻りましたが、26日の小さな子供たちを連れての探検は無理のようです。

駐車場で八木ヶ鼻の岸壁を見上げていると雷鳴轟く空中からけたたましい鳴き声がします。ハヤブサです。3羽います。下のカットでは2羽が、点のように写っています。一瞬ですが八木ヶ鼻の命の営みを垣間見ることが出来ました。
6~700万年前の海底火山の溶岩ドームの中心だった八木ヶ鼻は、しただ郷のランドマークです。この大きな岩山は、何か人々の心を惹くパワーがありますね。
雨がまた激しく降ってきました。

モリガメ
2014年07月16日
八十里越体感バス Ⅲ Hatijuurigoe Bus Tour
Hatijuurigoe Bus Tour
7月15日

八十里越体感バスツアーのガイドも私がガイドをする3日目になります。
出発地点の「道の駅漢学の里しただ」ではバスご利用の方に、「ごんぼっぱ笹団子」予約販売をしております。ごんぼっぱ(オヤマボクチの葉)いりの笹団子は美味しくて大好評ですが、バス乗車時にご予約いただくとお帰りには確実にお渡しできます。しかも若干お値打ちです。

道の駅では、バニラ、サツマイモ、ミックスのソフトクリームに、新たにしただ産ブルーベリーも加わりました。こちらも好評です。

7月15日

八十里越体感バスツアーのガイドも私がガイドをする3日目になります。
出発地点の「道の駅漢学の里しただ」ではバスご利用の方に、「ごんぼっぱ笹団子」予約販売をしております。ごんぼっぱ(オヤマボクチの葉)いりの笹団子は美味しくて大好評ですが、バス乗車時にご予約いただくとお帰りには確実にお渡しできます。しかも若干お値打ちです。
道の駅では、バニラ、サツマイモ、ミックスのソフトクリームに、新たにしただ産ブルーベリーも加わりました。こちらも好評です。

モリガメ
2014年07月16日
朝の畑で


子供の頃にはよく見かけたトンボだが、近年は生息数が少なく、見かけることも少なくなってきた。河川、用水などは人工物でかためられ、トンボさんは、棲みにくくなったね。だが、まだまだ自然が残っている証しか。
どなたか教えて下さい。このトンボは川トンボですか。
ギンナン 爺
2014年07月14日
カブトムシ・熊に出くわす


13日のカブトムシ
ネットをかけるのが遅すぎた。まだだと思っていたら、かなりの数が飛び去った後だった。
13日はオス13匹・メス7匹で20匹。14日はオス3匹、メス9匹だった。


上ちょっと見づらいが、舗装の境目を右から左へ
下熊が休んでいたと思われるササ藪
先日畑の帰りに熊。時計を見た5時5分(午后)。6mくらい前のササ藪から飛び出した。カメラのスイッチはONになっていたが、狙った時には藪の中へ。鉄砲打ちを止めてからこんな至近距離で見たのは、初めてだ。そう、15~16貫目くらいの熊かな。勘だが、春からこの辺にいたのでは。

綺麗な紫式部の花、秋には紫色の可愛い実をつける。
ギンナン 爺
2014年07月14日
ボロを着てても心は錦
noble heart even if wearing rag
7月10日

世の中には蛾が大好きな人もいます。私の友人にもいます。(変な奴ですが、そういう友だちがいる私も変な奴?)
彼のfbの記事を見ていたら、つい此間見つけたのと同じ蛾が載っていました。オニベニシタバという蛾で積んだ薪の隙間にいました。
翅を閉じていると地味な前翅しか見えませんが、後翅は赤、黒、白の派手で粋な模様です。
敵に驚くと翅をパッと開き、相手を怯ませる効果もあるようです。ミズナラ、コナラなどが食草です。
意外性のあるオシャレがいいですね。

7月10日

世の中には蛾が大好きな人もいます。私の友人にもいます。(変な奴ですが、そういう友だちがいる私も変な奴?)
彼のfbの記事を見ていたら、つい此間見つけたのと同じ蛾が載っていました。オニベニシタバという蛾で積んだ薪の隙間にいました。
翅を閉じていると地味な前翅しか見えませんが、後翅は赤、黒、白の派手で粋な模様です。
敵に驚くと翅をパッと開き、相手を怯ませる効果もあるようです。ミズナラ、コナラなどが食草です。
意外性のあるオシャレがいいですね。

モリガメ
2014年07月14日
吉ヶ平分校さよならイベント
goodbye events of Yosigahira Old School
7月13日

建ってから72年の「吉ヶ平分校」の建物も今年建て替えが決まりました。「吉ヶ平分校」の建物は、吉ヶ平集団離村後も、八十里越えや周辺の山への登山ベースになる山荘として使われてきました。吉ヶ平旧住民、しただ住民、登山者に愛されてきたこの建物も9月には取り壊される予定ですが、すぐ裏には新しい建物の建設もすすんでいます。

歴史ある建物に思いを寄せる人たちが集まり、さよならイベントを行いました。
「吉ヶ平クイズ」、「大人の運動会」、「和太鼓(三條太鼓三小相承会さん)と三線(きよ里さん)のミニコンサート」と盛りだくさんでした。
みんな再会を喜び、思い出を語りあいました。
そして「吉ヶ平分校」の建物を惜しみつつも、新しい吉ヶ平の山荘を楽しみにすることになります。

7月13日
建ってから72年の「吉ヶ平分校」の建物も今年建て替えが決まりました。「吉ヶ平分校」の建物は、吉ヶ平集団離村後も、八十里越えや周辺の山への登山ベースになる山荘として使われてきました。吉ヶ平旧住民、しただ住民、登山者に愛されてきたこの建物も9月には取り壊される予定ですが、すぐ裏には新しい建物の建設もすすんでいます。
歴史ある建物に思いを寄せる人たちが集まり、さよならイベントを行いました。
「吉ヶ平クイズ」、「大人の運動会」、「和太鼓(三條太鼓三小相承会さん)と三線(きよ里さん)のミニコンサート」と盛りだくさんでした。
みんな再会を喜び、思い出を語りあいました。
そして「吉ヶ平分校」の建物を惜しみつつも、新しい吉ヶ平の山荘を楽しみにすることになります。

モリガメ
2014年07月10日
ついにサルを目撃!
monkey sighting information
7月10日

家の前の県道です。
若い1匹のサルが県道を横切ってうちの山に入ってゆくのを見てしまいました。軽トラ運転中に一瞬で写真は撮れませんでした。
3年ほど前に一本奥の森坂頂上付近でミズキの枝に離れサルを目撃したことはありました。遂にうちの山へもやって来ました。新屋集落の上の方には群れで来ています。今回見かけた個体も群れの一部ではなく離れサルであろうとは思われます。それにしてもだんだんサルが山奥から領域を広げているのは確かなようです。他の野生動物はともかくサルはあまり歓迎できないです。
2日ほど前からうちの山でヒグラシの声が聞こえるようになりました。ヒグラシの鳴き声は夏の終わりの夕方ってイメージが強いですが、意外と早くアブラゼミなんかよりも早く鳴き出すんです。

7月10日

家の前の県道です。
若い1匹のサルが県道を横切ってうちの山に入ってゆくのを見てしまいました。軽トラ運転中に一瞬で写真は撮れませんでした。
3年ほど前に一本奥の森坂頂上付近でミズキの枝に離れサルを目撃したことはありました。遂にうちの山へもやって来ました。新屋集落の上の方には群れで来ています。今回見かけた個体も群れの一部ではなく離れサルであろうとは思われます。それにしてもだんだんサルが山奥から領域を広げているのは確かなようです。他の野生動物はともかくサルはあまり歓迎できないです。
2日ほど前からうちの山でヒグラシの声が聞こえるようになりました。ヒグラシの鳴き声は夏の終わりの夕方ってイメージが強いですが、意外と早くアブラゼミなんかよりも早く鳴き出すんです。

モリガメ
2014年07月09日
五十嵐川増水
静かな五十嵐川だったが、朝になって見れば下のごとし。


災害復旧のためにかなりの日数と費用かけた工事用道路は、延長100m近い道路だった。梅雨時の工事、大水は織り込み済みだったろうが、自然の前には叶わず一水にして流れ去った。また一からやり直しか。この他の工事個所でも被害あり。業者にとっては頭が痛いのう。
上の写真は、7月8日朝8時ごろになんとなく撮った写真だが、翌日こんな姿になるとは。
ギンナン 爺


災害復旧のためにかなりの日数と費用かけた工事用道路は、延長100m近い道路だった。梅雨時の工事、大水は織り込み済みだったろうが、自然の前には叶わず一水にして流れ去った。また一からやり直しか。この他の工事個所でも被害あり。業者にとっては頭が痛いのう。
上の写真は、7月8日朝8時ごろになんとなく撮った写真だが、翌日こんな姿になるとは。
ギンナン 爺
2014年07月07日
130年余りの歳月が流て
八木橋を語るのに、忘れてはならない八木橋之記という碑がある。
八木橋之記は、八木橋と、八木ヶ鼻が絶景となって眼に飛び込んでくる地に明治十四年に建てられた。
その後この地は、大正末期江坂医師によって医療施設江坂院医となり、院医は昭和20年代まで続いたが、閉鎖された。今は嵐渓荘別館となっている。
昭和30年代の初め別館に宿泊した新潟大学の生徒が気づき、貴重な記録なので、何枚かの拓本にしたという。だがすでに石の風化が進んでいて、判読できない文字が多数あった。
記には、五十嵐川者発源于矢筈岳貫流下田郷之中間灌・・・激浪尤険往時此地設渡船通北南・・・當田屋村佐藤栄仙等相謀架橋八木山麓弘化四年発竣落八木橋。以下略。
明治十四年辛巳春二月 陽諸橋郁撰並書。と刻まれている。
なお、碑に刻まれた文字は、建てられてから130年余り、ほとんど判読不能となっている。そしてこの碑の存在を知る人は今何人いるだろうか。

御影石に刻んだ八木橋之記

掛け軸となった拓本(嵐渓荘蔵)
下田郷には数えきれないほどの石仏、石碑等が点在しておるが、中には歴史の詰まった物もあり、後世に伝えたいものだ。
ギンナン 爺
2014年07月07日
今年のバスガイド初日
the first day of guide tour
7月6日

今年の「八十里越体感バスツアー」自体は6月29日から始まりました。私がガイドをするのは今日が初日です。しかも午前午後の2便です。午前便は4台、午後便は2台のバスで運行になりました。
午前便は4号車に乗り、これが下田枠のお客さんたちのバスでした。下田の人たちに下田の話をするのは、しょっぱなのガイドにしては厳しい状況でした。まあ何とかこなしましたし、下田の人に覚えていただいたのはよかったです。
午後便でやっと調子に乗ってガイド出来た感じでした。まあ、こんな感じで私の今年のガイドもスタートしました。
秘境八十里越えをお楽しみください。
5号橋梁工事現場です。

7月6日
今年の「八十里越体感バスツアー」自体は6月29日から始まりました。私がガイドをするのは今日が初日です。しかも午前午後の2便です。午前便は4台、午後便は2台のバスで運行になりました。
午前便は4号車に乗り、これが下田枠のお客さんたちのバスでした。下田の人たちに下田の話をするのは、しょっぱなのガイドにしては厳しい状況でした。まあ何とかこなしましたし、下田の人に覚えていただいたのはよかったです。
午後便でやっと調子に乗ってガイド出来た感じでした。まあ、こんな感じで私の今年のガイドもスタートしました。
秘境八十里越えをお楽しみください。
5号橋梁工事現場です。

モリガメ
タグ :八十里越体感バス
Posted by しただ郷 at
02:49
│Comments(2)
2014年07月03日
ネムノキ silk tree
7月2日

棚鱗の開発畑で7~8mはあろうかという大きなネムノキがあるのに気づきました。
盛大に花を咲かせていてみごとです。
マメ科の植物ですが、花弁は目立ちません。10~20の小さな花が集まり長い雄しべを伸ばします。それがあのフワフワした刷毛のような花に見えるのです。梅雨から夏にかけて見られる花です。強い日差しにギラギラ輝いていました。


棚鱗の開発畑で7~8mはあろうかという大きなネムノキがあるのに気づきました。
盛大に花を咲かせていてみごとです。
マメ科の植物ですが、花弁は目立ちません。10~20の小さな花が集まり長い雄しべを伸ばします。それがあのフワフワした刷毛のような花に見えるのです。梅雨から夏にかけて見られる花です。強い日差しにギラギラ輝いていました。

モリガメ
タグ :ネムノキ
2014年07月03日
八十里越え親子3代
history of Hatijuurigoe
7月2日

有名な棚田のある(日本棚田100選)北五百川集落に親子3代で120年以上を八十里越えを通ったという方がいらっしゃるとのことでインタビューにお邪魔しました。下田郷魅力発信協議会として伺いました。
現在79歳になられるかたでとてもお元気です。東北大震災までは只見町をはじめ南会津郡一帯を行商されていたということです。お爺様、お父様、ご自身も当初は八十里越えの街道を歩いて通われたそうです。ご自身は磐越西線、只見線開通後は鉄道と自転車で回り、お爺様、お父様は歩きで香川県一県もある広大な地域を回っておられたそうです。
草刈ガマ、包丁、ハサミなど金物や農家に必要なものを運び売り歩いたのだそうですが、三条名産の車麩も人気の品で会津の人たちから「麩屋さん」と呼ばれることが多かったそうです。
頼まれれば何でも運び、お父様は種豚にする子豚8頭を唐丸籠にいれて担いでいったこともあったそうです。流石にその時は、木の根峠のお助け小屋に泊まったそうです。荷で揺られぐったりした子豚を峠で下して遊ばせたら元気になって、今度は捕まえるのに苦労したそうです。それに時間をとられ泊まるはめになったとか。
笠堀の五十嵐砥(砥石)も重くて40kgは背負ったそうです。
当時、道が良かったこともありますが、8時間チョットで峠を越した(「登り四里、下り四里」)というので昔の人の体力は恐るべきものがあります。
北五百川を3時出発し、長野、吉ヶ平と経由し入叶津、叶津と辿ったそうです。
1度行商に行けば40日ほどかかり、年に3回ほど通ったそうです。
会津の方が居心地がいいくらいで、「しなた」(貴方)、「にしゃ」(お前)・・・と会津弁にもすっかりなじんでおられたようです。それも親子3代にわたるお客さんへの信用と会津の人たちの人情によることのようです。

7月2日
北五百川集落
village of Kitaimogawa
village of Kitaimogawa
有名な棚田のある(日本棚田100選)北五百川集落に親子3代で120年以上を八十里越えを通ったという方がいらっしゃるとのことでインタビューにお邪魔しました。下田郷魅力発信協議会として伺いました。
現在79歳になられるかたでとてもお元気です。東北大震災までは只見町をはじめ南会津郡一帯を行商されていたということです。お爺様、お父様、ご自身も当初は八十里越えの街道を歩いて通われたそうです。ご自身は磐越西線、只見線開通後は鉄道と自転車で回り、お爺様、お父様は歩きで香川県一県もある広大な地域を回っておられたそうです。
草刈ガマ、包丁、ハサミなど金物や農家に必要なものを運び売り歩いたのだそうですが、三条名産の車麩も人気の品で会津の人たちから「麩屋さん」と呼ばれることが多かったそうです。
頼まれれば何でも運び、お父様は種豚にする子豚8頭を唐丸籠にいれて担いでいったこともあったそうです。流石にその時は、木の根峠のお助け小屋に泊まったそうです。荷で揺られぐったりした子豚を峠で下して遊ばせたら元気になって、今度は捕まえるのに苦労したそうです。それに時間をとられ泊まるはめになったとか。
笠堀の五十嵐砥(砥石)も重くて40kgは背負ったそうです。
当時、道が良かったこともありますが、8時間チョットで峠を越した(「登り四里、下り四里」)というので昔の人の体力は恐るべきものがあります。
北五百川を3時出発し、長野、吉ヶ平と経由し入叶津、叶津と辿ったそうです。
1度行商に行けば40日ほどかかり、年に3回ほど通ったそうです。
会津の方が居心地がいいくらいで、「しなた」(貴方)、「にしゃ」(お前)・・・と会津弁にもすっかりなじんでおられたようです。それも親子3代にわたるお客さんへの信用と会津の人たちの人情によることのようです。

モリガメ
2014年07月03日
しただの川と子供たち
children and rivers in Shitada
7月2日

しただ郷には多くの川が流れています。それらの川は五十嵐川に流れ込み、信濃川へと下って行きます。
五十嵐川本流は水害の影響が続き濁りがとれず泥の川状態です。ですから、魚や生き物の棲めない単なる排水路化しています。
駒出川は八木ヶ鼻近く(いい湯ら亭の下)で五十嵐川に合流する川です。水害の影響も少なくダムもないので昔の自然豊かなしただの川の面影を残しています。地域の方々もヤマメの放流を続けたりして川を大切にしています。

しただの子供たちに川の豊かさに触れてもらうため、NPO法人 渓流再生フォーラムの方々が近くの小学生に川遊びをしてもらいました。私もお手伝いです。
石の下を探るとカゲロウ、カワゲラ、トビケラなど川虫やカジカ、オタマジャクシ、カジカの幼魚、ゲンゴロウの仲間・・・と様々な生き物が見つかり皆大喜びです。リリースしましたよ。捕まえた生き物はキャッチ & 生物多様性豊かな川は子供にも嬉しい宝の川です。

お楽しみ魚釣りもしました。子供たちにもちゃんと釣れます。18cmもあるヤマメもかかりました。
世話する方はエサを着けてあげたり、絡んだ糸を外したり・・・と大忙しで疲れましたけどね。
こんな川が身近にあるしただ郷の子供たちは幸せだなと思います。五十嵐川も早く元の清流に戻る日が来るといいですね。

7月2日
しただ郷には多くの川が流れています。それらの川は五十嵐川に流れ込み、信濃川へと下って行きます。
五十嵐川本流は水害の影響が続き濁りがとれず泥の川状態です。ですから、魚や生き物の棲めない単なる排水路化しています。
駒出川は八木ヶ鼻近く(いい湯ら亭の下)で五十嵐川に合流する川です。水害の影響も少なくダムもないので昔の自然豊かなしただの川の面影を残しています。地域の方々もヤマメの放流を続けたりして川を大切にしています。

いい湯ら亭側の駒出川(上) 生き物観察(下)
R. Komade and children
R. Komade and children
しただの子供たちに川の豊かさに触れてもらうため、NPO法人 渓流再生フォーラムの方々が近くの小学生に川遊びをしてもらいました。私もお手伝いです。
石の下を探るとカゲロウ、カワゲラ、トビケラなど川虫やカジカ、オタマジャクシ、カジカの幼魚、ゲンゴロウの仲間・・・と様々な生き物が見つかり皆大喜びです。リリースしましたよ。捕まえた生き物はキャッチ & 生物多様性豊かな川は子供にも嬉しい宝の川です。

お楽しみ魚釣りもしました。子供たちにもちゃんと釣れます。18cmもあるヤマメもかかりました。
世話する方はエサを着けてあげたり、絡んだ糸を外したり・・・と大忙しで疲れましたけどね。
こんな川が身近にあるしただ郷の子供たちは幸せだなと思います。五十嵐川も早く元の清流に戻る日が来るといいですね。

モリガメ