2015年01月31日
もぬけの殻 empty cocoon of moth
1月28日

今日は雪降りです。ウスタビガのマユに雪が積もっています。

同じクリの枝にヤママユガのマユもあります。
雪が積もって寒そうに見えますが、どちらのマユも実は抜け殼なんです。ウスタビガもヤママユガも秋に羽化して冬は卵で過ごすのです。
ほんの家の前で見かけたシーンです。ただ、背丈ちかい積雪があって近づけないので、撮影するには雪を掘って50cmほど前進する必要がありました。


今日は雪降りです。ウスタビガのマユに雪が積もっています。

同じクリの枝にヤママユガのマユもあります。
雪が積もって寒そうに見えますが、どちらのマユも実は抜け殼なんです。ウスタビガもヤママユガも秋に羽化して冬は卵で過ごすのです。
ほんの家の前で見かけたシーンです。ただ、背丈ちかい積雪があって近づけないので、撮影するには雪を掘って50cmほど前進する必要がありました。

モリガメ
2015年01月24日
今はダムの底となった大谷集落の大杉
森町沿革誌を紐解けば(昭和5年発行)、大谷集落の鎮守諏訪神社は集落を見渡す裏山にあり、祭神は建御名方命。境内には巨杉あり、嵡欝として社階を擁す。大なる五株は周囲三丈(約9m)、強根龍蛇の蟠るが如く・・・、この杉は当時、五十嵐神社の巨杉、原の諏訪神社の大杉と、併せて下田郷の三巨杉と称す。
この巨杉は、昭和30年頃伐られ、残された伐り株は神社とともに大谷ダムの底に沈んだ。



写真は伐採前の巨杉。巨杉を伐り倒すために、特別注文で作ってもらった中の一つで、長さ1m20の専用のノコギリ。
巨杉(宮木)の一枚板で作られた径三尺(90cm)のちゃぶ台。二つ作られたと聞いておるが。
ノコギリと、60年前のちゃぶ台で汚れているが、自宅で保存してある。
ギンナン 爺
この巨杉は、昭和30年頃伐られ、残された伐り株は神社とともに大谷ダムの底に沈んだ。



写真は伐採前の巨杉。巨杉を伐り倒すために、特別注文で作ってもらった中の一つで、長さ1m20の専用のノコギリ。
巨杉(宮木)の一枚板で作られた径三尺(90cm)のちゃぶ台。二つ作られたと聞いておるが。
ノコギリと、60年前のちゃぶ台で汚れているが、自宅で保存してある。
ギンナン 爺
2015年01月15日
戸数3戸まで減ったある集落
積雪2mに達した雪の中の集落。集落を見守ってきた神社も雪の中。1月14日撮影

この集落の草創は定かでないが、歴史を紐解けば、この集落の名の由来には二つの伝説がある。
詳細に書くと長くなるので、簡単に。その一つ、義経の臣が建久年間にこの地に来て、開いたと言う説と、今一つは、吉ヶ平伝説にある、高倉以仁王御所平を御下りに関する説だ。どちらの説でも時を経ること八百年と、長い歴史のある集落なのだが。
道路と橋、その他も良くなり、今は不便な地ではない。それでも住んでみなければ分からない何かがあるのか。
一時期(年代不明)30戸ほどあったと言われている。昭和10年代は19戸、40年初め、私が商売を始めた頃は17戸であった。それから約半世紀近くを経た今は、3戸となった。悲しいかな歴史ある集落の灯が消えそうだ。
この集落には、今井様と呼ばれた里庄がいた。故に集落挙げて姓は今井、菩提寺も大谷地に在る時宗連光寺だ。
この今井様は、源義仲(木曾義仲)の重臣今井四朗兼平の末孫なりと伝わる。
ギンナン 爺

この写真に何軒か写ているが、住んでいる家は右端で外壁が茶色の家だけ。

この集落の草創は定かでないが、歴史を紐解けば、この集落の名の由来には二つの伝説がある。
詳細に書くと長くなるので、簡単に。その一つ、義経の臣が建久年間にこの地に来て、開いたと言う説と、今一つは、吉ヶ平伝説にある、高倉以仁王御所平を御下りに関する説だ。どちらの説でも時を経ること八百年と、長い歴史のある集落なのだが。
道路と橋、その他も良くなり、今は不便な地ではない。それでも住んでみなければ分からない何かがあるのか。
一時期(年代不明)30戸ほどあったと言われている。昭和10年代は19戸、40年初め、私が商売を始めた頃は17戸であった。それから約半世紀近くを経た今は、3戸となった。悲しいかな歴史ある集落の灯が消えそうだ。
この集落には、今井様と呼ばれた里庄がいた。故に集落挙げて姓は今井、菩提寺も大谷地に在る時宗連光寺だ。
この今井様は、源義仲(木曾義仲)の重臣今井四朗兼平の末孫なりと伝わる。
ギンナン 爺