2011年09月22日
2500万年前~今の下田村へ
読んで見て下さい
下田村を歩いて・・・五十嵐川団体研究グル-プ
新潟大学理学部地質鉱物学理教室気付が、九年間の長きにわたり調査し1993年11月に発表した冊子から抜粋しました。
長い文面ですので 興味お持ちの方は読んで見て下さい。
今から2500万年前の今の日本があるあたりは大陸と地続きななっていました。もち
ろん下田村も大陸の中にありました。
現在の下田村の土台となっている岩石(基盤岩)が地表面になっていました。粟ヶ岳を
作っている岩石はそのころの岩石です。
けれども、しばらくすると地殻変動か゛起こり、岩石に割れ目ができました。割れ目によってできた空間を埋めるように大地は崩れていったのです。地表面(割れ目)には海水が入り込んできました。河川から礫や砂が運ばれ、たまっていきました。
今 下田村は海の底。
海となってしまった下田村付近では、火山活動がくり広げられました。海底の火山から溶岩や火山灰がふきだして海の底にたまっていきました。現在、笠堀ダムで見られる
グリ-ンタフ(火山灰)はこのときできたものです。
海底はどんどん沈み、それにつれて海はどんどん深くなりました。五十嵐川の流域に分布している泥岩はこのじきにたまったと考えられています。下田村ではありませんが、新潟県内で同じ時代の地層からクジラの化石がみつかっています。
下田村は深い海、静かな海の時代です。
今からおよそ700万年前に海底が隆起して下田村は陸になりました。地表面は泥や火山灰や火山岩などでできていました。
やがて600年ほど前になると、再び海の底へ沈みました。この時期に八木鼻の母岩となるデイサイトが形成されました。このデイサイトを作った火山活動は南方から北方へと移動し、八木鼻。重倉山(デイサイト山)もこの時期に形成されたようです。
そして500万年ほど前になると、一連の火山活動はおさまりました。下田村はまだまだ海底のです。静かな環境だったので薄く泥が堆積するようです。その泥の中には微生物の化石がたくさん含まれています。
200万年ほど前になると、海底だった地域は次第に浅くなりました。このころ堆積した地層は海岸の地層で、今の五輪峠や人面峠の付近に露出しています。
やがて下田村も海岸線になりました。
50万年ほど前には、下田村はすでに陸上にありました。このころには守門岳が活発に活動していました。下田丘陵はこういった火山山麓の扇状地に広く覆われました。この地層は、国道290号沿って赤色のレキとして観察されます。
このような長い年月を経て、現在のような地形が出来上がりました。そした今も刻々とその姿を変えていることでしょう。
八木ヶ鼻詳細調査報告 藤林 紀枝 新潟大学教育学部准教授

下田地域の大地の一部を作った約600~700万年前の海底火山活動で形成されたデイサイト質海底溶岩ド-ムの中心部である。その後、約200万年前以降にこの地域が陸化し、陸化後の侵食・解析の結果、海底溶岩ド-ムの中心部が露出し、絶壁が形作られたものと考えられる。八木鼻岩陰遺跡のあるあたりには、気孔や割れ目に岩塩の結晶が形成されている。(白く帯び状になっているなめて見ると塩辛い)地層中に含まれていた海水由来の化石から形成されたものであり、山間部の岩石中に岩塩が発見されることは非常に珍しい。調査日・平成21年5月7日
尚 藤林 紀枝准教授は 当時五十嵐川団体研究グル-プに参加していた学生でした。
写真は昭和38年頃 新旧八木橋と八木鼻を撮影。
長い文面でしたがいかがでしたか。2500万年前の下田村から今の下田村へと大地の形成が理解できたでしょうか。
パソコン初心者ですので 誤字・欠字等が有ったらお許しを。
ギンナン 爺
下田村を歩いて・・・五十嵐川団体研究グル-プ
新潟大学理学部地質鉱物学理教室気付が、九年間の長きにわたり調査し1993年11月に発表した冊子から抜粋しました。
長い文面ですので 興味お持ちの方は読んで見て下さい。
今から2500万年前の今の日本があるあたりは大陸と地続きななっていました。もち
ろん下田村も大陸の中にありました。
現在の下田村の土台となっている岩石(基盤岩)が地表面になっていました。粟ヶ岳を
作っている岩石はそのころの岩石です。
けれども、しばらくすると地殻変動か゛起こり、岩石に割れ目ができました。割れ目によってできた空間を埋めるように大地は崩れていったのです。地表面(割れ目)には海水が入り込んできました。河川から礫や砂が運ばれ、たまっていきました。
今 下田村は海の底。
海となってしまった下田村付近では、火山活動がくり広げられました。海底の火山から溶岩や火山灰がふきだして海の底にたまっていきました。現在、笠堀ダムで見られる
グリ-ンタフ(火山灰)はこのときできたものです。
海底はどんどん沈み、それにつれて海はどんどん深くなりました。五十嵐川の流域に分布している泥岩はこのじきにたまったと考えられています。下田村ではありませんが、新潟県内で同じ時代の地層からクジラの化石がみつかっています。
下田村は深い海、静かな海の時代です。
今からおよそ700万年前に海底が隆起して下田村は陸になりました。地表面は泥や火山灰や火山岩などでできていました。
やがて600年ほど前になると、再び海の底へ沈みました。この時期に八木鼻の母岩となるデイサイトが形成されました。このデイサイトを作った火山活動は南方から北方へと移動し、八木鼻。重倉山(デイサイト山)もこの時期に形成されたようです。
そして500万年ほど前になると、一連の火山活動はおさまりました。下田村はまだまだ海底のです。静かな環境だったので薄く泥が堆積するようです。その泥の中には微生物の化石がたくさん含まれています。
200万年ほど前になると、海底だった地域は次第に浅くなりました。このころ堆積した地層は海岸の地層で、今の五輪峠や人面峠の付近に露出しています。
やがて下田村も海岸線になりました。
50万年ほど前には、下田村はすでに陸上にありました。このころには守門岳が活発に活動していました。下田丘陵はこういった火山山麓の扇状地に広く覆われました。この地層は、国道290号沿って赤色のレキとして観察されます。
このような長い年月を経て、現在のような地形が出来上がりました。そした今も刻々とその姿を変えていることでしょう。
八木ヶ鼻詳細調査報告 藤林 紀枝 新潟大学教育学部准教授

下田地域の大地の一部を作った約600~700万年前の海底火山活動で形成されたデイサイト質海底溶岩ド-ムの中心部である。その後、約200万年前以降にこの地域が陸化し、陸化後の侵食・解析の結果、海底溶岩ド-ムの中心部が露出し、絶壁が形作られたものと考えられる。八木鼻岩陰遺跡のあるあたりには、気孔や割れ目に岩塩の結晶が形成されている。(白く帯び状になっているなめて見ると塩辛い)地層中に含まれていた海水由来の化石から形成されたものであり、山間部の岩石中に岩塩が発見されることは非常に珍しい。調査日・平成21年5月7日
尚 藤林 紀枝准教授は 当時五十嵐川団体研究グル-プに参加していた学生でした。
写真は昭和38年頃 新旧八木橋と八木鼻を撮影。
長い文面でしたがいかがでしたか。2500万年前の下田村から今の下田村へと大地の形成が理解できたでしょうか。
パソコン初心者ですので 誤字・欠字等が有ったらお許しを。
ギンナン 爺
Posted by しただ郷 at 19:29│Comments(2)
│自然
この記事へのコメント
ギンナン爺 さま
すばらしいです!
これは是非紙芝居にして、子供たちの教育に役立てたい!!
いい教材になります!
すばらしいです!
これは是非紙芝居にして、子供たちの教育に役立てたい!!
いい教材になります!
Posted by ひー at 2011年09月23日 12:51
ギンナン爺 様
始めて、メールします。
下田の自然を勉強中の内藤と申します。
下田の自然2500万年の記事、大変参考になりました。
最近、いい湯ら亭の辺りを、フォッサマグナによる3つの構造線の1つが通っているとの、論文を見つけました。
糸魚川ー静岡構造線(ブラタモリでも取り上げられました)
柏崎ー千葉構造線
新発田ー小出構造線(今回見つけた論文にある構造線)
これによれば、下田が幾度も海底と陸地を繰り返した謎の解けそうな気がします。何かご存じであればご教示賜れば幸いです。
始めて、メールします。
下田の自然を勉強中の内藤と申します。
下田の自然2500万年の記事、大変参考になりました。
最近、いい湯ら亭の辺りを、フォッサマグナによる3つの構造線の1つが通っているとの、論文を見つけました。
糸魚川ー静岡構造線(ブラタモリでも取り上げられました)
柏崎ー千葉構造線
新発田ー小出構造線(今回見つけた論文にある構造線)
これによれば、下田が幾度も海底と陸地を繰り返した謎の解けそうな気がします。何かご存じであればご教示賜れば幸いです。
Posted by 三条市役所防災気象アドバイザー内藤雅孝 at 2022年11月09日 16:49