2011年09月29日
越後長野温泉嵐渓荘古き写真
昭和初め妙の鉱泉
流失した吊り橋
日本秘湯を守る会の一軒宿として名が通った越後長野温泉嵐渓荘。創業から今の社長で4代目 もうすぐ100年になる老舗旅館である。その嵐渓荘歴史の一部と写真を紹介。
本鉱泉は長野地内机山の山麓におり。此處、古くより湯気立登りて厳冬の候と雖も、雪の積らざる處有りと云ひ伝へしも誰とて開鑿を試むる者なかりしが、大正末期より同村大竹氏之が掘鑿に着手し、昭和2年湧線したと、昭和5年発行の本にある。掘る工法は、櫓を建て上総(かずさ)掘りにての掘削であった。
当初、妙の鉱泉と呼ばれ、我が子供の頃は真木の湯とも呼ばれた。写真は昭和初め建物右上に、上総掘りの櫓が写ている。創業からの吊り橋は、7・29豪雨で流失した。貴重な歴史を語る橋であったが残念。
いい宿・いい湯ですので お泊りへ。
嵐渓荘の湯 朝日新聞 2008年8月28日
地下から出る湯は口に含むと塩辛く、湯1キログラムに溶け込んでいる食塩は10~13グラムとのこと。ここはかって海岸線だったようで湯が塩辛いのは、海水が地下に閉じ込められたのか海藻類の化石等を地下水が溶かしているらしいと、嵐渓
荘社長。
「真木とは」 簡単に説明すると その土地の一番上(かみ)とか 上流を真木と呼ぶそうです。
ギンナン 爺
流失した吊り橋
日本秘湯を守る会の一軒宿として名が通った越後長野温泉嵐渓荘。創業から今の社長で4代目 もうすぐ100年になる老舗旅館である。その嵐渓荘歴史の一部と写真を紹介。
本鉱泉は長野地内机山の山麓におり。此處、古くより湯気立登りて厳冬の候と雖も、雪の積らざる處有りと云ひ伝へしも誰とて開鑿を試むる者なかりしが、大正末期より同村大竹氏之が掘鑿に着手し、昭和2年湧線したと、昭和5年発行の本にある。掘る工法は、櫓を建て上総(かずさ)掘りにての掘削であった。
当初、妙の鉱泉と呼ばれ、我が子供の頃は真木の湯とも呼ばれた。写真は昭和初め建物右上に、上総掘りの櫓が写ている。創業からの吊り橋は、7・29豪雨で流失した。貴重な歴史を語る橋であったが残念。
いい宿・いい湯ですので お泊りへ。
嵐渓荘の湯 朝日新聞 2008年8月28日
地下から出る湯は口に含むと塩辛く、湯1キログラムに溶け込んでいる食塩は10~13グラムとのこと。ここはかって海岸線だったようで湯が塩辛いのは、海水が地下に閉じ込められたのか海藻類の化石等を地下水が溶かしているらしいと、嵐渓
荘社長。
「真木とは」 簡単に説明すると その土地の一番上(かみ)とか 上流を真木と呼ぶそうです。
ギンナン 爺
Posted by しただ郷 at 07:26│Comments(2)
│伝統・歴史
この記事へのコメント
そうなんだ。しただの歴史の勉強になりました。
Posted by モリガメ at 2011年09月29日 09:13
その昭和5年の本、もしまだ現存するならぜひ見てみたいですね!
Posted by らんけいごお at 2011年09月30日 13:39