2012年05月28日

下田郷の三義民

 江戸時代から平成の世までの長きに亘り、                                                  義民として語り継がれてきた七蔵・徳次朗
                                                忠右衛門の慰霊祭が生地葎谷集落で5月
                                                27日全戸が参列して神式で行われた。

                                                石碑は、発起人吉田虎吉・他有志により下
                                                田郷一円に援助を求め建立し昭和14年8
                                                月18日慰霊塔の除幕式並びに慰霊祭が
                                                行われた。






写真上は昭和14年8月18日慰霊塔の除幕式並びに慰霊祭。贈・吉田進一郎様

七蔵・徳次郎は「守門颪」によると、文化11年4月3日(1811)村松藩領内牛野尾谷から発生した
一揆はやがて領内全域に広がった。4月5日一揆は終結し苛政であったと直ちに御蔵を開き
三千石を領下の窮民に各戸四斗づつ永貸付米として分け与えた。この一揆により打ち壊され
た家も多数あった。一揆の主謀者として七蔵・徳次郎・忠右衛門3名が召捕えられた。七蔵・徳次郎
両人は斬首、忠右衛門は闕所追放の上意が下る。上意が下ってから一年後の5月16日に七蔵
徳次郎両人は刑場の露と消えたのである。西山を越えてきた首は生地葎谷集落入り口に七日七夜
さらされた。藩主堀候の裁断は涙を以て裁かれたもので、法と人情とのしがらみで、元禄忠臣義士
の裁きに比すべきであったと伝えられている。

葎谷集落では、毎年5月16日の命日を「義民の日」と定め全戸が参列して慰霊祭を行っている。
ただし今年は田植え作業やむ得ない事情から、特例として27日に変更した。
参考資料 目黒昌司著・守門颪

新発田藩領中之島組(村)にも「義民・歯を抜かれた與茂七」という人物がいた。本を読むとおもし
ろい。
 ギンナン 爺


                                                                                                                                                                                              
                                                


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Posted by しただ郷 at 20:30│Comments(0);歴史
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