2012年07月16日
文化財級の・・・。
名下という集落にある、石垣です。明治8年に作られたものとか。
広さは300坪近くありそうです。
今は内側が畑になっていますが、以前はこの周辺を統括する肝いりのお屋敷があったそうです。
この石垣がなぜできたか、それは明治8年に飢饉があり、その時に周辺住民への救済策として、五十嵐川の石1個とおにぎりを交換して集めた石でできたとのこと。
石工は栃尾から呼んで作られており、「矢げんづくり」という製法だそうです。
四角い石垣のかどにはとても大きな石が組まれています。とても見ごたえがあります。
重機もない当時、どうやって運んだのか、想像を絶します。
よく見ると、石垣はとても厚く内側にも相当量の石を詰め込んでいるようです。
この赤っぽい石が五十嵐川の石の特長だそうで、火成岩(火山が噴火してできた石)の中でも、火口から噴火して、空気に触れて赤くなったできたものと思われます。きめは細かく、粘りが強そうです。
Posted by しただ郷 at 11:20│Comments(2)
│伝統・歴史
この記事へのコメント
この家の家系図ある家で拝見した.諸橋博士が書いたもので、清和天皇・源頼光などが書かれていた。
Posted by ぎんなん爺 at 2012年07月17日 16:12
文化遺産とみなさ何一世代のみが、その後の世代で復活することが、次の世代によって拒絶されるかもしれません。ありがとう。
Posted by product release press release at 2013年09月20日 15:38