2012年10月02日

悲劇の元殿様 松平容保(かたもり)の書状

元、会津藩藩主松平容保は、幕末(文久2年)京都守護職に就任した。守護職容保は、新撰組を配下として京の治安確保につとめた。が、戊辰戦争では、朝敵(国賊)となり奥羽越列藩同盟を結び官軍と戦ったが敗れた。後に、日光東照宮の宮司となり、その時長谷川半平氏に宛てた書状。何か差し上げた際の(たぶんお金)礼状と思う。


拝啓弥御佳案珍重之御事ニ御座候(拝啓イヨイヨ御ケイアンチンチョウ之御コトニ御座候)で始まり、中略、蕪書候不悉(ブショ候ツツガナク)で終わっている。



マタギの里、笠堀集落に伝わる「へんへん」と言われている飯を入れて持ち運ぶ飯入れ。
 

笠堀集落は前にブログで書いたが、昔から盛んに熊猟が行われていた。その際飯を入れ持ち歩いた今で言う弁当箱であった。最近まで使われていた。飯が大量に入り、又、日持ちもがひじょうに良い。10年くらい前に猟をやめた人から頂いた。各家々で、道草と言うなる草で編んだと聞いている。今は、作る人はいない。貴重品になった「へんへん」だ。

長谷川半平氏は、肝煎りを勤めし当郷の名家名下の人なり。、明治13年の、大火で三条のほとんどを焼いた。その財力をもってこの復興のために金融機関を設立その頭取となり、馬で通ったと親から聞いている。

 ギンナン 爺


 


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この記事へのコメント
長谷川家、名下の石垣に囲まれたところにお屋敷があったという方ですね。あれだけの石垣を救済措置で作ったというのもすごいですが、銀行を作って馬で通ったとか、すごいです。今、暴れん坊将軍のテーマ曲が、頭の中で渦巻いています。
Posted by ひー at 2012年10月02日 21:36
すでにご存知かと思いますが、庭月にも一人いた。その名は、早川臹。明治のころ、多大な私財を投じて八木橋のたもとに嵐渓医院を設立し、他にも多大なる寄付金をしている。爺子供の頃は、黒い板塀で囲まれた大きな邸宅を構えていたが、跡地には今蔵が残っているだけ。
Posted by ギンナン爺 at 2012年10月03日 19:56
あの早川邸の早川様とは別の方でしょうか?
先日管理人さんに開けていただきましたが、かなり老築化していて残念でした。諸橋先生のお父様が描かれた天井画が仏間にありました。
針などはとても立派です。
もったいない限りです。
Posted by ひー at 2012年10月03日 20:06
早川三兄弟の一人で、先祖が商いで材をなした。元、早川医院のしも隣。嵐渓医院は、今の八木館の全身じゃ。
Posted by ギンナン爺 at 2012年10月04日 11:40
早川一族はしただの名士なんですね。
さすが、ぎんなん爺さんです。
よかったら、先日のエコツーリズム協議会に入られませんか?
もしくは、しただのエコツアーを作る企画作りに参加していただけないでしょうか?
森町地域のディープな歴史ガイドをしていただけそうな気がします。
Posted by ひー at 2012年10月04日 22:40
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