2012年11月27日

炭焼き

堅炭・白炭と言われた下田の木炭は、優良の炭であり声価もたかかった。炭焼は過酷で厳しい仕事であったが、八木奥は田畑少なく炭焼を生業としてきた家が多かった。山が遠いと炭焼き小屋に泊まり込んで焼いたとか。その炭焼は、昭和30年後半か昭和40年初めまで続き、後はほそぼそと昭和という時代が無なるころまで続いた。



家まではあと小一時間、一休みだ。この場所は笠堀集落の奥、山の神の吊り橋今はダムの底。荷の重さは八貫メ以上だろう。ネガに昭和31年とあった。



上 新潟県製炭改良講習会記念。於南蒲原郡森町村開催 大正2年7月7日




上 窯だし。 昭和52年

新潟県教育委員会発行の大江・大谷には、昔は生産された炭は荒沢まで運搬され、「五十嵐船」て゜運びだされたとあった。
炭焼きの技を持った人達は高齢になり、技の継承が急がれる。

 ギンナン 爺


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この記事へのコメント
貴重な写真ですね。


しただの山と共に生活してきた方々の生業がよく伝わってきます。

道の駅オープンの際には是非、ご協力ください。
Posted by ひー at 2012年11月27日 21:23
できる事があればお手伝いします。
Posted by ギンナン爺 at 2012年11月28日 18:08
貴重な記録ですね。炭焼きを教わりたいです。
Posted by モリガメ at 2012年11月29日 02:39
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