2013年05月14日

史蹟を訪ねてその2




目的のひとつ、地元では喜左衛門塔と呼ばれている石塔。嵐渓史には、不幸にも、喜左衛門、鉱山の飯場に宿泊中、何者かに斧で眉間を打ち割られ、悲惨な死をとげた。此の凶変が藩主の耳に達するや、深くその死を憐まれ、同人のために、山頭神なる碑を建てられし。とある。お参りに来た人がいたのか、茶碗二つ碑の前に。



整地されたと思われる所の石垣。飯場等があったのだろうか。




あった。銀山を掘り出した坑道の入り口。中は所々崩落していた。昔を今に伝える坑道跡、何とか後世に残せないか早速の保存が望まれる。
参考文献・嵐渓史


 ギンナン 爺



Posted by しただ郷 at 22:40│Comments(0)
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