2014年07月07日

130年余りの歳月が流て


八木橋を語るのに、忘れてはならない八木橋之記という碑がある。
八木橋之記は、八木橋と、八木ヶ鼻が絶景となって眼に飛び込んでくる地に明治十四年に建てられた。
その後この地は、大正末期江坂医師によって医療施設江坂院医となり、院医は昭和20年代まで続いたが、閉鎖された。今は嵐渓荘別館となっている。

昭和30年代の初め別館に宿泊した新潟大学の生徒が気づき、貴重な記録なので、何枚かの拓本にしたという。だがすでに石の風化が進んでいて、判読できない文字が多数あった。

記には、五十嵐川者発源于矢筈岳貫流下田郷之中間灌・・・激浪尤険往時此地設渡船通北南・・・當田屋村佐藤栄仙等相謀架橋八木山麓弘化四年発竣落八木橋。以下略。
明治十四年辛巳春二月 陽諸橋郁撰並書。と刻まれている。

なお、碑に刻まれた文字は、建てられてから130年余り、ほとんど判読不能となっている。そしてこの碑の存在を知る人は今何人いるだろうか。

御影石に刻んだ八木橋之記


掛け軸となった拓本(嵐渓荘蔵)

下田郷には数えきれないほどの石仏、石碑等が点在しておるが、中には歴史の詰まった物もあり、後世に伝えたいものだ。

 ギンナン 爺


同じカテゴリー(;歴史)の記事画像
明治新道草刈り
今はダムの底となった大谷集落の大杉
戸数3戸まで減ったある集落
ルンルン!古道調査
八十里越街道沿いにあった宿屋兼茶屋・しもの茶や
八十里越え親子3代
同じカテゴリー(;歴史)の記事
 明治新道草刈り (2015-10-22 11:55)
 今はダムの底となった大谷集落の大杉 (2015-01-24 14:54)
 戸数3戸まで減ったある集落 (2015-01-15 14:17)
 ルンルン!古道調査 (2014-11-12 03:10)
 八十里越街道沿いにあった宿屋兼茶屋・しもの茶や (2014-08-27 16:08)
 八十里越え親子3代 (2014-07-03 13:01)

Posted by しただ郷 at 16:47│Comments(0);歴史
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。