2014年08月27日

八十里越街道沿いにあった宿屋兼茶屋・しもの茶や





絵になった明治から昭和まで続いたしもの茶や





八十里越街道の要所であった吉ヶ平には、天保年間から、大正4年までに6軒の旅籠が開業されたと、蝶名林竹男著「秘境吉ヶ平」に書かれている。
また、八十里越街道沿いには、宿屋と茶屋を兼ねたのがあった。そのうちの一軒が今も「しもの茶や」と呼ばれ、屋号だけを引き継いでいる。
木賃宿営業取締鑑札を見せてもらったが、明治時代に開業している。旅人で一時期繁盛したのだろう。
当時の宿には遊びの場として無くてはならないものだったのか、博打打をする部屋があった。解体前に見せてもらったが、外からは分かりにくく、何かの時は逃げやすいつくりになっていた。写真に残しておけばと後悔している。
壁に酒井と書かれている文字は道路改修に伴って家を建て替える事になり、開業時代から続いた建物から切り取り、今の家に移設し、後世に伝えている。

壁に文字を書くのが当時流行りだったのか、他に岩田・今き屋・吉田と3か所にあったような記憶がある。

  ギンナン 爺


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Posted by しただ郷 at 16:08│Comments(0);歴史
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